沿革
昭和30年4月 | 創業 |
個人商店 カネユウ | |
創業者の五十嵐勇が昭和27年に青果市場関係に入門、3年間の修行を経て | |
独立を決意、金港青果(株)の卸売場内において営業開始 | |
昭和34年2月 | 会社設立 |
有限会社丸ユ商店 資本金50万円 | |
金港青果(株)ならびに静岡県、神奈川県を中心に集荷販売。 | |
この間「出仲組合」に所属し築地市場(現、東京シティ青果(株))より | |
促成品、洋采、菌茸類等を中心に搬入販売を続けた。 | |
その間、市当局(業務課)より特別せり人の許可証が交付された。 | |
昭和43年頃より各小売商組合が代表買出人を指定、所属 | |
組合人に販売を開始し、仲卸業務的な場内販売が認知された。 | |
昭和46年4月 | 卸売市場法施行 |
正式に中央卸売市場の仲卸制度が法令化された。 | |
昭和48年3月 | 横浜市中央卸売市場 青果仲卸業者認可 |
市当局の厳正な審査の結果、40社が認可された。 | |
同年4月9日、仲卸業務開始。 | |
当時は市場内の仲卸売場はなく、隣接地の米軍ランドリー | |
跡地に仮設の仲卸売場が建設され、仲卸店舗として営業を | |
開始した。 | |
昭和51年3月 | 会社組織変更 |
「有限会社丸ユ商店」を「株式会社丸ユ商店」に変更、 | |
資本金を2000万円に増資した。 | |
昭和51年5月 | 新社屋 丸ユビル竣工 |
1階 保冷庫・分荷場 | |
2階 パッケージ施設 | |
3階 営業事務・一般事務 | |
4階 厚生施設・社員食堂 | |
5階 厚生施設 | |
当時、仲卸業務はスタートしたが社員20人の居場所 | |
にもこと欠き、社員の資質を高め、更なる業務充実を | |
目的に丸ユビル竣工を決定した。 | |
創立20周年記念ならびに新社屋落成披露 | |
市当局、小売商連合会、卸会社、仲卸各社等市場関係者各位 | |
のご光臨を賜り、滞りなく取りおこなわれた。 | |
昭和63年 | 青果棟完成 事務所移転 |
待望の青果棟が完成し、3階に事務所を移転。同時に専用 | |
電算室を設置し、事務処理の円滑化に努めた。 | |
平成元年2月 | 日本商工会議所会頭、並びに横浜商工会議所会頭より表彰状授与 |
永年の優良産業企業としての表彰。 | |
平成元年7月 | 増資により資本金3000万円とする |
安定した営業活動、対外的な信用度等を想定し資本の充実 | |
を図った。 | |
平成3年11月 | 横浜市長より表彰状授与 |
横浜市中央卸売市場本城開設60周年に際しての表彰。 | |
農林水産局長より感謝状授与 | |
市場制度20周年に際しての感謝状。 | |
平成4年3月 | 新仲卸売場営業開始 |
青果物卸売り場の5年にわたる大規模増改築が完成し、同年 | |
4月に完成式典が行われた。同時に仲卸40社が新売場にて本格稼動した。 | |
平成9年 | 神奈川区栄町13番地土地200坪を取得 |
市場内仲卸利用スペースは各社同一で活用にも限度があり | |
今後の流通事情を考慮し、場外施設整備の一環として取得した。 | |
平成10年2月 | 社債発行 |
受託会社を横浜銀行とし社債1億円を発行した。 | |
平成11年3月 | 新施設完成(保冷庫・作業場) |
今後の営業対策の一環として市場外施設を増設し、更なる | |
業務の充実をはかるため、約150坪の施設の完成をみた。 | |
平成13年11月 | 農林水産大臣より感謝状を授与 |
横浜市中央卸売市場本城開設70周年記念式典に際し、 | |
市場の発展に寄与したことによる。 | |
平成19年8月 | 清算業務、OCRシステム稼動 |
清算業務、事務処理の効率化を求め、富士通製スキャナー | |
を導入した。 | |
平成20年12月 | 農林水産大臣より賞状を授与 |
長年に亘る食品流通の振興発展に寄与したことによる。 | |
平成27年9月 | 賃貸用ビル「スカイブルーレジデンス横浜」竣工 将来にわたる財務安定化を狙い、神奈川区栄町13番地の保冷庫・作業場 を取壊し、10階建ての賃貸用ビルに建て替え。 1階・2階 賃貸事務所 3階~10階 賃貸マンション |
平成28年6月 | 青果棟3階事務所の全面リニューアル 事務所内の机・椅子・什器を一新すると共に、本社事務所と電算室を一体化した |
結びに、永年にわたる市場関係者の皆様方のご指導ご支援に深く感謝 | |
申し上げます。また、弊社役職員一同、心を新たに業務に精進いた | |
す所存でございます。 |